作品紹介
『夏の砂の上』は2025年7月4日に公開された、玉田真也監督による長編映画。原作は劇作家・松田正隆が1998年に発表し、岸田國士戯曲賞を受賞した同名の戯曲である。オダギリジョーが主演と共同プロデュースを兼ね、長年温めてきた企画をついに映画化した。
舞台は渇いた夏の長崎。造船所をリストラされた小浦治(オダギリジョー)は、幼い息子を水の事故で失い、妻の恵子(松たか子)も家を出ていってしまった。空っぽの家で無為な時間を過ごす治のもとへ、姉の阿佐子(満島ひかり)が現れ、高校生の娘・優子(髙石あかり)をしばらく預かってほしいと言い残していく。ほとんど他人同士のような叔父と姪の、ぎこちない共同生活が始まる。
オダギリジョー、髙石あかり、松たか子、満島ひかりという実力派が顔を揃え、派手な事件も劇的な救済もないまま、ただ人が並んで座っている時間の重さを積み上げていく。全編を長崎市内でロケーション撮影し、観光名所をあえて避け、坂と階段と路地でできた「生活の長崎」を丹念に切り取ったことも大きな特徴である。
話題になったポイント
髙石あかりのブレイクを決定づけた一作
姪・優子を演じた髙石あかりは、無愛想さと繊細さが同居する難役を、説明的な台詞に頼らず身体だけで成立させた。ほとんど笑わない少女がふと見せる表情の揺れが、この映画の温度を決めている。若手実力派としての評価を決定づけた作品となった。
オダギリジョー、主演+共同プロデュース
オダギリジョーは主演にとどまらず共同プロデューサーとして企画を推進。松田正隆の戯曲に惚れ込み、玉田真也監督を迎えて映画化にこぎつけた。喪失を抱えたまま感情を発露できない男を、抑えに抑えた芝居で演じている。
「観光地の出てこない長崎映画」
グラバー園も大浦天主堂も出てこない。代わりに映るのは、稲佐山の麓の階段、坂の途中のアパート、日常のスーパーマーケット。長崎という土地の観光的なイメージを一切借りずに、そこで暮らす人の生活だけで画面をつくった点が、多くの観客と地元住民から高く支持された。
ロケ地ガイド
稲佐エリア(長崎市西部)
治と優子の生活圏。稲佐山の麓に広がる、坂と階段でできた住宅地が本作の中心舞台となる。
- 平戸小屋町:治の家があるとされる町。劇中で繰り返し登場する階段は、この町の日常そのもの。長崎の坂の街らしい高低差が、登場人物たちの息づかいを画面に持ち込んでいる。
- エレナ稲佐店:優子がアルバイトする地元密着型のスーパーマーケット。何の変哲もない日常空間が、少女が世界とかろうじてつながっている場所として描かれる。
- 相生地獄坂:恵子が暮らすアパートがある坂道。立山と優子が恵子・陣野に鉢合わせる、物語の緊張が高まる場面の舞台でもある。名前のインパクトとは裏腹に、静かな生活の匂いが漂う坂だ。
長崎市中心部エリア
治が仕事を探し、人と会い、また離れていく街。港と商店街が徒歩圏に収まる長崎の街並みが、そのまま映画の背景になっている。
- 長崎市中央公民館(長崎市民会館):治が職を探してハローワークを訪れる場面が撮影された。魚の町の中心に建つ公共施設で、制度と個人が向き合う場としての手触りが印象的。
- 思案橋横丁:治が再就職する中華料理店のシーンが撮影された飲食店街。長崎随一の繁華街に残る、細く濃密な路地空間である。
- 中通り商店街:観光アーケードとは異なる、地元向けの古い商店街。長崎の日常のスケール感を伝える通りとして登場する。
- 江戸町:阿佐子と優子がスーツケースを引いて歩く通り。物語の始まりを象徴する移動の場面である。
長崎港エリア
水に近づくたび、この映画は失われた子どものことを思い出させる。港の場面はいずれも静かで、しかし重い。
- 魚市橋:治が持田のタクシーを降りる場所であり、優子と立山の待ち合わせ場所でもある。人と人が交差しては別れていく、本作らしい橋。
- 長崎出島ワーフ:港に面したウォーターフロント施設。優子が海を見ながら言葉を交わす場面が撮影された。
- 長崎水辺の森公園:長崎港に沿って広がる開放的な公園。街の閉塞感からふと解き放たれる、呼吸のような場面が撮られている。
- 旧スチイル記念学校裏の坂:治がタクシーを見送る坂道。東山手の洋館が残る一角で、長崎らしい石畳と勾配が画面に奥行きを与えている。
聖地巡礼のおすすめルート
稲佐・生活の長崎ルート(半日)
長崎駅から路面電車とバスで稲佐橋を渡り、平戸小屋町の階段を上る。相生地獄坂を経てエレナ稲佐店へ。観光地では味わえない、坂の街の呼吸を体感できるコース。急勾配が続くので歩きやすい靴は必須。
中心部+港の1日ルート
長崎市民会館からスタートし、中通り商店街、思案橋横丁を歩いて長崎の生活動線をたどる。午後は魚市橋から出島ワーフ、長崎水辺の森公園へと港沿いに南下。夕暮れの港で映画のラストを思い返すのがおすすめ。ながさき旅ネットや長崎市観光サイトではロケ地マップも配布されている。
視聴者の声・評判
評価
Filmarks平均評価は3.7〜3.8。派手さのない作品ながら、映画好きからの評価が高く、公開後にじわじわと動員を伸ばしたタイプの一本である。
好評だったポイント
「説明しない映画なのに、なぜか全部わかってしまう」「髙石あかりの佇まいだけで泣ける」「長崎の坂と階段が登場人物と同じくらい雄弁」といった感想が多い。会話の間、沈黙、視線の外し方といった細部への評価が突出している。
賛否の分かれた点
「起伏がなく退屈に感じた」「救いのなさがつらい」という声も一定数ある。感情を大きく動かすタイプの映画ではないため、静かな余韻を味わう心の準備をして観たい作品といえる。